お寺に住むこと
ほうにんは
お寺に生まれ育ちました。
実家の母は『いつお客さんがお参りに来てもいいように』
『電話がいつくるかわからない』と
ずっと家にいました。
お寺は保育園もしていたので
園長先生もしながら
お寺のこともしていました。

まだ留守電や転送電話もなくて
外出するときは、家族の誰かが電話番をしていました。
寺にだれもいなくなる日は私が留守番。
中学校の時私が初めての新人戦のテニスの試合の時も、
当日参加できませんでした。
高校生の時のブラスバンドの演奏会も休みました。
留守番しながら泣きました💦
だから絶対にお寺に嫁がないぞ!!
と思っていたのに
お寺に嫁いだ私。
今は割と周りの理解もあり
カギをかけて電話も転送にして出かけていらっしゃる
お寺もあるかもしれません。
便利な時代になりました。
でも、嫁いだお寺は
実家と一緒。お客さんの出入りがすごく多いお寺。
結婚して同時に住職を変わったので
二人ともあたふた。。。ぼんくら息子と
ぼんくら娘。。。
父母はいますが、スパッと引退。
営業で外に飛び回っていた生活から
実家の母の様に寺にこもりっぱなしの地獄の生活が
待っていました。
実際にもやもやが続く毎日。
鬱になりかけ・・・。
でもある日、
考え方を変えて、
そうだ、家でいろいろやってみようと思い、
明楽寺の両親と4人分の三度の食事のほかに
朝から晩までひたすらパンを焼いたり、
漬物を漬けたり、
梅干や味噌を作ったりしました。


食べること大好きな家族なので
喜んでもらっています。多分。



それから、地域のことも色々しながら今日まで
16年間ずーっとそんなことを繰り返していたら、
先日、地元木之本町の
発酵イベント『オカンのツボ』というのがありまして
撮影していた写真と小さなコラムを展示していただきました。

気が付いたら、私に色々教えてくださったおばあちゃん達は
亡くなられて、
おばさんたちは
漬物作業は腰がいたい、とだんだんやめていって
同世代で発酵をする方はいなくて、
え?私だけ?みたいな状態に・・。

今では仏事の際にいただくお斎料理の漬物は
『ぼうもりさん、漬けもん、たのむわ!』と
言っていただいております。
法然上人が
流罪にあった時、
『それもよかろう。』
と言っておられたそうです。

生きにくい世の中で
どう生きるか は
アイディアも必要。
そのヒントは
真宗のお寺には沢山あります。

そんなお話ができるのを
ほうにん、漬物を漬けながら、
今日もお寺で
皆さんを待っているのです。
つづく・・・